この文書は、高円寺のギャラリーカフェ3に於いて、2019年7月6日〜14日開催の企画展「カレイドスコープ」に展示した作品「暇人無門」の説明文である。
2017年8月にギャラリーカフェ3で開催した個展「イミナンテナイ」から丸2年経とうとしている。最近やっと次の展示会のアイデアがまとまってきて、つい先日、来年6月にギャラリーカフェ3にて個展開催を決めた。その個展のプレビューとして作品を展示してみては、とオーナーの東村さんからご提案して頂き、企画展に参加する運びとなった。
昨年末のことだが、息子が、私のパズルやトランプやボードゲームなどが入っている引出しから囲碁を引っ張り出して来て、「これで遊んでみたい」と言い出した。まだ5歳なので早いかなと思いつつ一通り囲碁のルールを教えて一緒に遊んでみた。その囲碁セットの碁石はマグネット式で小さなポータブル版だったので非常にやり辛い、碁石を置くのも一苦労で囲碁に集中できない。もう少し本格的な囲碁のセットはないかと近くのおもちゃ屋へ見に行ったが、プラスチック製のイマイチなものしかなかった。それならと思い、木材を買ってきて自分で作ろうと考えた。
囲碁の碁石は直径24mmの丸棒の木材を厚さ12mmで切った円柱形のものを200個ほど作り、オセロも出来るようにと表裏を黒白で塗り分けた。碁石の黒石は硯などに使われる那智黒石、白石は蛤の貝殻である。形状は摘みやすくピタッと置けてしかも位置がズレにくい。本物は非常に高価なモノで、それにはかなり劣るが木製の円柱形の碁石でも使ってみた感触は悪くはない。これに気をよくし、将棋、チェス、中国将棋、韓国将棋と次々に製作してみては息子と遊んでみた。息子はそれらのルールを最初は面白がって覚えて遊んでいたのだが、負けるのが嫌なようでそのうちあまり一緒にやらなくなってしまった。
小さい頃からボードゲームの類は好きでだったが、将棋や囲碁好きの友達はあまりいなかったので、プログラムを書き独りでコンピュータと遊んでいた。コンピュータが対戦相手になってくれるようアルゴリズムを勉強して試行錯誤しているうちにコンピュータはそれなりの遊び相手になってくれた。大人になってシステム・エンジニアの仕事をやるようになってからも、仕事の合間にボードゲームなどを作っては会社のPCで遊んだ。携帯電話で手軽にアプリケーションが作れるようになってくると、囲碁ゲームなどを作って通勤電車の中で遊んだ。ボードゲームなど、頭で考える遊びは、どんな手を打ったのかなどの結果はほぼ全て記号で表すことができる。それがゲームの全てであり、使用する駒や盤などの道具は副次的なものであって、頭の中でその遊びがイメージできればよく、PCで遊ぶときはリアルなグラフィックスは必要なく、アルファベットや数字などの記号で十分とさえ思っていた。そして対戦相手も、少々人間味があり強ければ人ではなくコンピューターで十分だと思っていた。
息子とお手製のボードゲームで遊んでみて、今までの考え方は間違っていたのではないかと思った。ゲームのある目標を果たすべく、互いが敵対し自分や相手の立場で場面を考え、時間と場所を共有する。なんと贅沢な時間ではないだろうか。確かにゲームの内容は記号化でき、昔の達人たちのゲームを再現してみれば、その息遣いまでも感じることができる。またネット上の対局では、場所を問わず見ず知らずの人とも気軽にいつでも対戦することもできる。情報社会と呼ばれるようになった現在だが、情報自体の価値だけが注目される一方、情報となり得ないモノゴトが見落とされているのでは、と感じた。次の個展のアイデアの一つを得た本の一つが、2015年の小林秀雄賞を最年少で受賞した森田真生の著書『数学する身体』である。この著書では思考と行為の関係について述べている。
行為はしばしば内面化されて思考となるし、逆に、思考が外在化して行為となることもある。私は時々、人の所作を見ているときに、あるいは自分で身体を動かしているときに、ふと「動くことは考えていることに似ている」と思うことがある。身体的な行為が、まるで外にあるれ出した思考のように思えてくるのだ。
思考と行為の間に、はっきりとした境界を引くことは難しい。そのことを強調するために「数学的思考」の代わりに、しばしば「数学という行為」と表現していくことにする。
コンピュータという道具を使うときでも、手で画面をタップしたりキーボードを叩いたり、マウスを動かしたり、モニターを眺めたり、と身体を使っていると言える。しかし、プログラムがまとまらない時は、アイデアを、コンピュータではなく実際のノートに図などを書ながら考えた方がよい時もある。ここ数年、絵画の製作ではコンピュータで計算した画像を実際に手で描いてみるという手法を試している。もう一度、行為と思考の関係を見直してみようと思い、今までコンピュータを使って計算してきたコトを、実際のモノとして製作してみようと考えた。
実際のモノとして最初に出来上がったのが「暇人無門」である。これはスライディング・ブロック・パズルと呼ばれるモノである。コンピュータを使って様々なパズルの問題を作ったり解かせたりするのが好きだ。スライディング・ブロック・パズルは10年以上前から暇をみては取り組んできたパズルである。
スライディング・ブロック・パズルという名前は知らなくても「15パズル」は誰でも知っているだろう。1878年、パズル作家の大御所サム・ロイドが1000ドルの懸賞金を掛けたパズル問題を発表した。1から15の数字が記された正方形の駒が駒の縦横4倍の正方形盤に並んでいるが、14と15だけ入れ替わっている。駒を移動させ14と15を入れ替え15まで順に並べ直すという問題である。この問題は実際には解けないことが翌年に証明されたのだが、懸賞金という販売戦略が功を奏し多くの人を熱狂させた。現在でもその解けないパズルは販売されている。
正方形の駒だけだった15パズルはその後進化を遂げる。1914年、「山羊を捕まえて(Get My Goat)」というパズルの特許がアメリカで取得された。このパズルは山羊の描かれた駒を柵の中に移動するというパズルである。図では分かりづらいが山羊の駒の上と左上の2つの駒はつながっていてドミノ牌のようになっている。15パズルのように正方形だけだったら簡単なパズルなのだが、長方形の駒を新たにパズルに取り入れることで面白さが一段と増すことになった。
「15パズル」以来の大流行を巻き起こした「お父さんの困惑(Dad's Puzzler)」が1926年にアメリカで発売された。長方形の駒に加えさらに駒の各辺の長さが2倍の正方形の駒が追加され、盤も4×5と少し大きくなった。この大きな正方形を盤の角から別の角に移動するというパズルである。この商品も多くの人を熱狂させ、様々なバリエーションが販売された。その一つのバリエーションが1930年代にフランスで発売された「赤いロバ(De l’Âne rouge)」である。最初の駒の配置と大きな正方形の駒を角に移動するのではなく下辺中央に移動するという点が違うだけである。少々のデザイン変更ではあるがこのバージョンが世界各国に広まった。各駒にローカルな文字やイラストを描いたバージョンが様々な名前で販売された。日本では「箱入り娘」という名前で流行した。駒には娘、父親、母親、兄弟など家に関連する文字が描かれた。また、将棋の駒、三国志の英雄、戦国時代の武将など様々なバリエーションも販売された。第2次世界大戦中は、世界各国で国名や旗や英雄等が駒に描かれた様々なバージョンが販売され、国威発揚に使われた歴史を持つパズルである。現在は、ポーランド語で木製ブロックを意味する klocki から由来する「Klotski」という名称でよく呼ばれている。
「赤いロバ」の大流行までとは行かないが、1994年に日本のパズル作家の芦ヶ原伸之が考案した新しいタイプのスライディング・ブロック・パズル「納車ゲーム(Tokyo Parking)」が販売され流行した。このパズルの駒は長方形の駒のみであるが、駒の移動は長方形の長辺方向のみに限定され、6×6の中央左辺にある駒を右辺に移動するというものだ。現在は「ラッシュ・アワー(Rush Hour)」という名称で世界各国で販売されおりスマホのアプリでも海賊版を含め様々なバージョンが公開されている。
現在、スマホの普及により手軽に楽しめるアプリとして新しいパズルが発表されている。アプリのパズルは現実のモノとしては実現不可能なモノが多く、パズルも新しい時代を迎えていると感じる。最後に、個人的に大好きな日本のパズル作家のあべみのるを紹介する。独創的なアイデアで様々なパズルを考案し、木製の商品として製作・販売もしている。人間味あふれる面白いトリックが潜んでいて楽しいパズルである。その数あるパズルの中で2点ほど図に記す。ニック・バクスターのサイトではあべみのるの作品が数多く紹介されている。
小史で紹介した流行したパズルの特徴としては、その名称やキャッチコピーやデザインの販売戦略が重要ではあるものの、パズルの内容として、一見簡単そうで適度に難しく、解いているうちに発見や驚きがある、といえる。駒数を増やしたり盤を大きすればいくらでも難しいものを作れるが、解くのに時間がかかったり、その面白がわかるまで労力が要ったり、冗長で退屈であったりする。適度な難しさと面白さをかねそなえたパズルを作るのは非常に難しい。7年くらい前の話だが、先に紹介したあべみのるのパズルに触発され自分も作ってみようとアンドロイドのアプリを作り手作業で問題を作成してみた。試行錯誤の結果、ある程度の面白い問題は出来て、それなりには遊べたのだが、完成度はイマイチで、結局そのアプリは公開せずにお蔵入りとなった。
前回の個展が終わった2年前、今度は手作業で問題を作るのではなくコンピュータを使って、少ない駒数と小さい盤でどれだけ難しい問題が作れるか全てのパターンを計算してみようと考えた。最初はお手軽なJavascriptという言語でプログラムを作成し計算してみたが、思った以上に計算に時間がかかってしまい、計算結果が出るまでに約1年かかるという代物だった。そのプログラムを使って試行錯誤するには何十年もかかりそうだったので、本格的にアルゴリズム(手順)を見直し、プログラム言語は高速なC++で2ヶ月ほどかけて書き直した。その結果、1週間ほどで計算結果が出るようになった。
そのプログラムを使って駒と盤を変えて様々な組み合わせを計算した。駒の形状は、小史で紹介したパズルは正方形や長方形が主なものだったが、複数の正方形をつなげてできる形状を使った。この形状はソロモン・ゴロムが1953年にポリオミノと名付けた(図6)。計算では正方形が2つのドミノから5つのペントミノの計20種類の形状を用いた。
試行錯誤を繰り返しているうちに、少し大き目の盤で非常に難しい問題を発見した。難しさを比較するのは難しいのだが、駒を何回動かせば解けるという手数で簡単な比較ができる。「赤いロバ」は盤の大きさは4×5=20、駒数は10個である。駒の配置を変えると一番難しいパターンは約100手を要する。『暇人無門』の駒と盤を使ってできる問題の全てを計算してはいないが、5×8の盤の上部に6個の空所と大きな正方形の駒を右上角に置く配置では1億2千万個のパターンがある。その中で大きな四角を左下角まで移動できるパターンは35万個ある。35万個の問題のほとんどは100手未満で解き方のバリエーションも同じようなものが多かったが、その中のごく一部に700手以上の非常に難しい問題を発見した。「赤いロバ」と比べて、盤の大きさは5×8=40と2倍の大きさだが、駒数は10個と変わらない。このごく一部の難しい問題には手数を多くする何らかのトリックが潜んでいるのではないかと予想したが、700手以上も要するパズルを手で解くのは気が引けた。だいぶ試行錯誤に時間もかかっていたので、ここで一区切りして少し寝かしていた。
コンピュータを使って計算してきたコトを、実際のモノとして製作しようと思った時、真っ先に浮かんだのが、寝かしておいたスタイディング・ブロック・パズルである。どんな作品に仕上げるか考えて始めた。パズルで用いいる駒は、ドミノ、トリオミノ、テトロミノの全形状を各2組、ペントミノの全形状を1組と、パズルのカギとなるテトロミノの2×2の正方形1個で、計29個である。全ての駒の大きさは、小さい正方形を1とすると、4(ドミノ)+12(トリオミノ)+40(テトロミノ)+60(ペントミノ)+4(カギの駒)=120となる。120は2×3×4×5で様々な数で割り切れる。盤の大きさは5×8=40で120の3倍なので、盤を3つ作れば駒はそこに上手く収まる。パズルの説明と問題を書いた冊子も盤と同じ大きさにして盤と重ねれば、丁度、分厚い単行本に近い形状になることに気が付いた。作品は本みたいなモノに仕上げよう考えた。
読書は大好きで、作業部屋は壁一面に好きな本を並べている。今の時代、電子書籍が主となりつつあり、スマホさえあればいつでもどこでも好きな本を読むことができる。それはそれで魅力的だが、紙に印刷された本が好きだし、古い本が並んだ古本屋巡りは大好きだ。ゲームに関しては情報が全てであると以前考えていたが、情報化しやすい記号である文字で書かれた本はなぜか違うと考えていた。本に囲まれていると背表紙の題名が語りかけてくるような感覚を味わう時がある。大好きなダグラス・ホフスタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』のような本を書きたいとは思っていたが、文章を書くのは苦手なので無理だと思っていた。しかし、中身は少々違っても、見た目は本のような作品を製作することなり、心躍りながら本の題名を考えはじめた。
7年前にお蔵入りとなったパズルゲームは「暇人」と名付けた。幼少の頃から創作折り紙で遊んでいた。前回のグループ展の作品のひとつに伝統的な折り紙である「あじさい折り」をヒントに製作した作品を展示した。何年前か忘れたが、折り紙の達人たちがその技で競い合うという番組が放映された。番組の最後に、「あなたにとって折り紙とは」という質問に対して、折り紙の達人は「大いなる暇つぶし」と回答した。衝撃を受けた。創作折り紙となると無心で長時間、紙と向き合うことになる。まさに言葉の通りなのだが、実際にやってみた人でないと、わからないその言葉の強さがあった。パズル全般にも言えることだが、問題を解いたという達成感はあるがジグソーパズルでもない限りほかに残るものは何にもない。ただ無心でやっていると問題に潜むトリックを発見し大いに熱くなる時がある。そんな瞬間を求めてやるのかもしれない。暇人にしか味わえない感動があるという思いを込め「暇人」と名付けた。また英語名は「imagine(想像する)」の頭に H を足し Himagine という造語にした。ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞のヒントとなったオノ・ヨーコの『グレープフルーツ』も好きな本のひとつだ。
今回の作品もスマホのパズルゲームと同じ題名の「暇人」としてもよかったのだが、初めての本ということもあり何か物足りなさを感じていた。作業部屋で本棚を眺めながら、他に良い題名はないかと考えていると一冊の本が目に止まった。『無門関』である。『無門関』は中国の南宋時代に無門慧開(1183年ー1260年)によって編纂された禅書で、禅宗の公案や仏教の故事を紹介するとともに、無門慧開がそれに解題をつけるというスタイルで全四十八則が書かれている。その話の中にはだいたい禅問答が出てくる。禅問答とパズル問題を重ね合わせて考えてみた。コンピュータで計算した問題はかなりの難問だ。難問すぎて挫折してしまいそうである。無門慧開が解題を付けたように、解にたどりつくヒントを問題に付けてみようと考えた。実際にパズルをやってみると、最初は見当もつかず闇雲に駒を動かす。その内に道筋が見えてくる。しかし、また堂々巡りで同じことを繰り返す。無理だと諦めかけると、不意に気づかなった動かし方を発見する。もしくは、いつの間にかに移動している。かなり集中してやらないと面白さが見えてこない。まるで、わかりそうでわからない禅問答のようである。
無門とは、仏門に入るという言葉からもわかるように、仏道に入る門のことであるが、その門は無ということだ。しかし、西洋でいうところの「存在の有無」の無ではない。『無門関』の第1則「趙州狗犬」は、ある僧が趙州和尚に「犬には仏の心がありますか?」と問うと趙州和尚はただ「無。」と答える。このエピソードに対し無門慧開がこう述べている。
素晴らしい悟りは一度徹底的に意識を無くすることが必要である。祖師の関門も透らず、意識も絶滅できないようなのは、すべて草木に憑りつく精霊のようなものだ。さて、それでは祖師の関門とは一体どのようなものであるか。ここに提示された一箇の「無」の字こそ、まさに宗門に於いて最も大切な関門の一つにほかならない。そこでズバリこれを禅宗無門関と名付けるのである。無門慧開の言葉を製作したパズルになぞってかなり大袈裟に言い換えてみると。情報化された有無(0と1)で出来上がってるコンピュータ世界のパズルゲームではなく、実際のモノとしてパズルはここに有る。有ることを知ったことでわかったことにはならず。また解いたところで何にもならない。パズルを解くその行為によって「無」を知るのである(笑)。このパズルと禅問答で違う点があるとすれば、パズルは有限であるということだ。ただし、5×8の盤で十数個の駒を動かすだけだが、その駒配置のパターン数は1問だけでも約1億個のパターンはあるのだが。
西村恵信訳注『無門関』岩波文庫
題名は「暇人」と「無門」を足し合わせた『暇人無門』とした。なんだか、「無門」を小馬鹿にしたような印象も受けるが、「暇人」は真面目に前向きな意味として使っているし、「想像する」という意味も込めているので、これでよしとした。
題名が決まったところで、作品の細かなところも決まってきた。駒や盤の形状はパズルの性質上決まっているのだが、その素材は無垢の木材にするか、もしくは、動植物を模した色彩豊かなイラストを描こうかと考えていた。しかし、題名からして温もりや親しみ感はいらなし、色彩もいらないと考えた。禅庭をイメージしてモノトーンにすることにした。パズル問題は『無門関』の四十八則にちなんで48問とし、それぞれのパズル問題に四十八則の題名をつけることにした。パズルの説明と問題を載せた冊子をデザインしてみたが、イメージにあったフォントが見つからず、以前自作したバランスが悪く無機質でダサいフォントを使うことにした。どうも漢字は表意文字だけあって、その形だけでイメージが独り歩きしてしまう難しい文字である。「無」という字の形が気になったので白川静の『常用字解』で調べてみた。
仮借。もと象形の字で、舞う人の形。舞のもとの字である。衣の袖に飾りをつけ、袖をひるがえして舞う人の姿である。甲骨文では舞雩という雨乞いの祭りの字に使用する。有無の「ない、なし」の意味に用いるのは、その音を借りる仮借の用法である。無がもっぱら「ない、なし」の意味に用いられるようになって、無に舛(左右の足が外に向かって開く形で、舞うときの足の形)を組み合わせた舞が「まい、まう」の意味に使われる。たぶん、もともと漢字には「無」という意味の文字はなく、仏教とともにインドからその概念が伝わり当て字をしたのだろう。
冊子はパズルの盤とピッタリと大きさを合わせたいので、印刷と製本は自分でやることにした。また、パズルの性質上、各駒の大きさは0.1ミリくらいの精度で合わせる必要があった。精密な木材加工はやったことはないし、製本もやったことはなかったので、製作は試行錯誤を繰り返し3ヶ月もかかってしまった。
製作に3ヶ月と言っても、盤と駒の試作品が出来上がった時点で、製作はほっておいて遊ぶことに夢中になっていた時間も長い。発表する機会でもなければ、そこで満足してしまい最後まで仕上げないという悪い癖である。ただ作品の性質上、遊ぶところに意味があるので、問題の難しさや面白さは遊んでみないとわからないので仕方がない。コンピュータが導きだした35万個の問題の中から48問を選び出す作業も大事である。難しい(手数が多い)順に48問を選ぶと、使われない駒が出てきてしまう。ペントミノ(5個の正方形)の十字の駒はその形状からやさしい問題にしか出てこない。またテトロミノのS字が2つ出てくる問題もそうである。また同じ駒を使って初めの配置がだけが違う問題もだいたい同じような解き方となる場合が多くこれも重複しないようにしたい。遊んでいる中でどんな問題を選ぶのか考えた。順番は単純にやさしい問題から並べた。最初はすごくやさしい問題だが、1問ごとに難しさは飛躍的に上がってくる。10問目くらいで難しさは落ち着いてきて、そのあとはじわじわと難しくなっていき、最後の数問はまた飛躍的に難しくなる。全部解いたわけではないが、たぶん、そうなると思う。
遊んでいると問題のトリックがわかってくる。ある駒が解くのを邪魔したり、ある駒同士の組み合わせを変えることで局面が進んだりと、駒が、扉、鍵、やっかい者、無骨者、機械仕掛けなどの様相を呈してくる。これから遊びこんで、全問を解いて全てのトリックがわかった時、自分自身の変化に気づくかもしれない。先の『数学する身体』で、著者は数学者の岡潔の「わかる」ということについて述べている。
自分がそのものになる。なりきっているときは「無心」である。ところがふと「有心」に還る。その瞬間、さっきまで自分がなりきっていたそのものが、よくわかる。「有心」のままではわからないが、「無心」のままでもわからない。「無心」から「有心」に還る。その刹那に「わかる」。これが岡が道元や芭蕉から継承し、数学において実践した方法である。
展示に合わせて、コンピュータが導きだした全48問の最小手数解をアニメーションにして一緒に展示する。作品を実際に手に取って遊んで楽しんでもらえたら幸いである。来年6月の個展では「暇人」を題名の頭につけて、シリーズとしていくつか作品を試作中である。そのうち2つは試作品が出来上がり遊んでいる最中である。上手くまとめあげることができれば個展で発表できるのだが、それはまだわからない。