カレイドスコープ#003 作品説明

この文書は2018年7月21日から29日に高円寺のギャラリーカフェ3にて開催の企画展カレイドスコープ#003に出品した作品の説明文である。

スパイラル・ブギウギ

問.以下の数から何を想像しますか?
(1)1964、1998、2020
(2)7、12、24、60、365
(3)1914、1918、1939、1945
(4)262、868
(5)634、3776、8848
(6)1999、2003、2011、2017、2027
(7)2、3、5、11、17、41

日々の生活はなんと数に埋め尽くされ、そして数に翻弄されているのだろうか。数学嫌いは世の中に多いと思うが否応なしに数を使っている。1の次は2でその次は3と数え上げる。誰がやっても同じ結果となる。幼い頃に数え上げる能力を身につけ誰もが納得しそれを信じている。そして、なんでも数を用いて表す。物の価値、年収、貯蓄、血圧、成績、点数、人口など、あげ出したら数えきれない。数自体には意味は無いが、数のない世界を想像することは不可能に近い。数により物事を比較し、統計をとり分析し、過去を検証し、そして未来を予測する。分かりやすく利用しやすい数だが、それでは、どれだけ数自体のことを知っているのだろうか?

「数とは何であるか?」一見するとナンセンスな問いは「私とは何であるか?」と同様に混乱を招く。数を知ろうとすると直ぐに魅力や魔力に取り憑かれる。その一例として、自分自身と1しか割り切れない数である素数にどれだけの数学者が一生を捧げたのだろう。この作品は、素数を用いて数の魅力や魔力を絵によって表層部分だけでもその本性を表現出来ないか試みたものである。と言ってもアイデアは私のものではなく次に紹介する3人によるものである。

1人目はスタニスワフ・ウラムである。ウラムはポーランド出身の数学者である。ユダヤ人家庭の生まれで第二次世界大戦中にナチスの迫害を逃れアメリカに亡命した。一緒に逃げた弟以外の家族はホロコーストで亡くなったとされている。亡命後、原子爆弾を開発・製造するために科学者、技術者を総動員した「マンハッタン計画」に参加し、戦後も引き続き水素爆弾の開発に携わりその基本機構を創案した人である。少し長いが、ダグラス・R・ホフスタッター著『メタマジック・ゲーム』でウラム について書かれた箇所を引用する。

第二次世界大戦中あるいは直後、多くの偉大な数学者や物理学者がそうであったように、ウラムも軍事プロジェクトに組み入られた。彼がフォン・ノイマンと一緒に発明したモンテカルロ法は、水素爆弾の開発にとってキーとなった。これは難解に定義された集合の濃度と奇妙に定義された空間の次元についての研究を引き起こし、彼は連鎖反応の統計的モデル化の正確な方法に行きあたった。彼がこういう仕事をしていた時代は、人間性から起こるジレンマは今日ほどクリアでなかった。私たちが前例のない破滅的危機へゆっくり歩んでいることを、アインシュタインが警告したはずだが、ほとんどの人はアインシュタインのようなクリアな予見をもてなかった。自分が取りこまれているものの中でその人間がいかに小さいかは人間に関するパラドックスである。スタン・ウラムは大きな集落の中の一匹のアリにすぎなかった。彼の役割はほかのほとんどのアリのより大きかったが、集落をコントロールするほどの力はなかった。人間性と「人類性」は別のものなのだ。 スタン・ウラムほどの善良な人間でも、軍事競争のような邪悪なものの一部に組みいれられることがある。明らかに、ウラムはこういう開発で自分が果たした役割を反省している。同じような位置にありながら、自分の小さな行為がその他大勢の小さな行為と結びついて大きな悲劇をもたらしたことについて気づかない。あるいは気づこうとしない、心のせまい人がなんと多いことか。 私はウラムなような暖かく、洞察力のある人の友人になれたことを誇りに思う。長期的に見て、彼の業績が(あるかもしれない)アルマゲドンのためのものではなく、数学のためのものだったということがはっきりするように期待したい。

1963年に長くて退屈な論文発表中に落書きをしている時、ウラム は「ウラムの螺旋」を発見した。その螺旋は単純な規則で1を中心に螺旋状に数を並べていくだけであるが(図1)、螺旋状に並べられた数の内、素数だけに注目してみると斜めあるいは縦横に素数が隣り合って並び直線が浮かび上がってくる。ウラムはコンピュータを用いて、その当時まだ初期段階にあったコンピュータ・グラフィックスを作成した(図2)。ウラムは落書き中にこの直線が現れることを直感で気づいていたであろう。この直線上にある素数はどんなものなのか? 2人目の登場である。

図1.螺旋の構造(81まで)
黒は素数を表し、灰色の濃淡により偶数と奇数を分けた。偶数と奇数は市松模様となる。
図2.ウラムの螺旋(約16万まで)
1964年、科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」のマーチン・ガードナーのコラム「数学ゲーム」で紹介され、表紙を飾った。その記事によると 65,000 までの螺旋を計算したとある。そこから予想すると 256 × 256 = 65536 で、この図は 401 × 401 なのでもう少し小さいものだったと考えられる。

2人目はレオンハルト・オイラーである。オイラーはウラムから約200年ほど遡る18世紀に活躍したスイス出身の数学・天文学者である。その論文の多さは5万ページを超え、その刊行は現在まだ完結していない。オイラーと言えば、人類の至宝である非常に美しい式 eiπ = -1 を発見した人である。 「ウラムの螺旋」に表れた直線はオイラーの発見した素数生成式 f(x) = x2+x+41 と深い関係がある。この式の x に 0,1,2,3...38,39 を入れて計算してみると連続して40個の素数がが現れる。現れた素数を「ウラムの螺旋」に乗せてみたのが図3である。中心付近の黒点がその40個の素数である。数が大きくなるに従い中心から外へ黒点は螺旋状に広がって行く。赤点は式より求められた数で素数でないものである。最初の赤点はxが40の時である。少し式を変えてみると、f(x) = x2 + x + 41 = x (x + 1) + 41 であり、x に 40 を入れて 41 に着目してみると、 40 × (40 + 1) + 41 = 40 × 41 + 41 = (40 + 1) × 41 = 41 × 41 = 412 となり、 41自身同士を掛けた数、つまり41で割り切れるので素数とはならないことがわかる。 40以降はウラムの螺旋に乗せると直線に並ぶ。青点は x が 40 以上で素数となる点である。赤点と青点の数を比べてみると素数となる青点が現れる確率が非常に高いのがわかる。 41の他に高い確率で素数を発生させる数として 11,17,101,137,167 などがある。これらの直線は先の図2の斜めの直線として表れている。最初の問(7)は「オイラーの幸福数」と呼ばれる数で、素数発生式の 41 をこの幸福数に変え、x を0からその数から2を引いた数までを入れて計算すると結果が全て素数となる数である。なお 41 以降で全て素数となる数は存在しない。この作品はこのうっすらと見える直線をわかりやすく見せようと試みた。オイラーの素数生成式を元にプログラムを書き、画像を眺めながら試行錯誤しているうちにある作品が頭に浮かんだ。3人目の登場である。


図3.ウラムの螺旋とオイラーの式 f(x) = x2 + x + 41

3人目はオイラーの時代から再び「ウラムの螺旋」が発見される前の第二次世界大戦中まで戻る。その人はピエト・モンドリアンである。モンドリアンはオランダ出身の画家でカンディンスキーらと並び初期の抽象画家とされている。アムステルダム国立アカデミーで美術教育を受けた後、ピカソやスーラのキュビズムに感銘を受けパリに渡り、事物を平面的・幾何学的な形態へ還元する抽象への志向を強めていった。その後、もっと純粋なリアリティの表現を求め「新造形主義」を唱え、宇宙の調和を表現するためには完全に抽象的な芸術が必要であると主張した。極限まで単純化された黒の縦横線のみ、あるいは4色の四角形のみの「コンポジション」と呼ばれる作品を生み出して行く。第二次世界大戦中、戦火を避けるためパリからロンドンに移った後、ウラムと同様に、1940年アメリカに亡命しニューヨークに移り住んだ。「ウラムの螺旋」をコンピュータで描いている時、頭に浮かんだ作品が、ニューヨーク時代の代表作「ブロードウェイ・ブギウギ」と未完の遺作となった「ヴィクトリー・ブギウギ」である。1943年に肺炎をこじらしてなくなるまでの3年間と短い時間だったがニューヨークの街はモンドリアンに大きな刺激を与えたのだろう。新たな絵画に挑戦し悪戦苦闘する中、ジャズ、特にブギウギに魅了されダンスに興じた。「ブロードウェイ・ブギウギ」はニューヨークの街並みで通りの喧騒やネオンを描いたもの、ブギウギのリズムを描いたもの、地下鉄の路線図を描いたものなど、その知名度と共に様々な説がある。また未完の遺作である「ヴィクトリー・ブギウギ」は正確な線や面を描く彼の作風からすると完成まで程遠いと考えられる。「コンポジション」のシリーズにもあるキャンバスを45度傾けて描く手法を再度試し、「冷たい抽象」と表される彼の絵画は煮詰まりながらもニューヨークの街のように華やかに新たな展開を踏み出していたのかもしれない。数年前、ニューヨークの交通網の調査で1週間滞在した。一日中、電車やバスに乗り、駅の構内やブロードウェイ、アベニュー、ストリートを歩き回った。その合間にMoMAにある「ブロードウェイ・ブギウギ」を見に行った。歩き疲れた足でその前に立った。ニューヨークの街の様でもあったがモンドリアンが目指していたのは宇宙の調和を表現する完全な抽象画だと感じた。そして今回、「ウラムの螺旋」をモンドリアンの目指した抽象画として再構成してみようと考えた。

Piet Mondriaan Victory Boogie Woogie
図4.ピエト・モンドリアン
ヴィクトリー・ブギウギ 1943年未完

「ウラム の螺旋」にうっすら見える直線をどうやって計算するか。直線の一部は密度高く素数が並んでいると思いきや同じ直線上の他の部分は全くなかったりと規則性は見当たらない。並んでいる箇所のみに線を引いてみるより、オイラーの素数発生式との関連性を高めた方が素数に潜む規則性が見えるのではないかと考えた。「スパイラル・ブギウギ」の大きさは3mm方眼紙で縦横30cm、縦横101で10201個の数が描ける。素数発生式で直線となる部分の素数の個数を数え多い順に上位200本を選んだ。ただし、直線は対角線で区切られているので画面の端は短くなり直線の長さが一定にならない。一定になるよう直線を画面外まで伸ばして素数の個数を数えた。また、2以外の偶数は素数ではないので縦横の直線に素数が並ぶことはない。そのため斜めの直線に比べて素数の数が少なくなり、縦横線は上位200本にほとんど入らない。なるべく恣意性を排除し素数のそのまま表現したかったが、絵としてのバランスを考え縦横線の場合は素数の個数を1.6倍して上位200本に入るよう工夫した。プログラムの計算結果を方眼紙にプロットしていく。規則性を持った模様を手書きで描き写す場合、最初は間違えることがあるが次第に慣れてきて間違えなくなってくるが、今回は全然慣れず間違えを何度も繰り返した。どのように直線が並ぶのかその直線に素数がどのように並ぶのか描きながら観察した。そこに規則性は見出せなくても、例えば、人間が作った禅寺の庭、山間部の棚田、街の風景など、また、人間の作意の入らない山々の稜線や夜空の星々や鉱物の結晶など、そこに美意識を刺激するような風景がなにかしら見えてくるのではないかと観察した。そしてモンドリアンが目指した宇宙の調和を表現する抽象画とはどのようなものだったのか想像しながら描いた。間違えずに絵が完成したものの点の大きさや線の太さや色など細部に気に入らない部分が出てきて3枚描いた。デジタル画像をプリントアウトすれば殆ど同じような絵が直ぐにできるのだが、身体を使い試行錯誤しながら時間をかけて描くとその前と後で、感覚というか何かが変わっていることに気がつく。

「ウラム の螺旋」の数を格子状の平面に螺旋状に並べる規則は理解できる。素数の規則(定義)も理解できる。しかし、その規則から描き出される風景は理解できない。このような経験は世の中にはたくさんある。類似しているものとして囲碁があげられる。囲碁には規則がある。その規則から繰り広げられるゲームの奥深さは「囲碁の宇宙」と呼ばれるほど深いし広い。長い時間をかけて定石が出来上がってきたが、最近ではウラム の発明したモンテカルロ法とディープラーニング(主にCNN、Convolutional neural network)を組み合わせたAI(Artificial intelligence)同士を対戦させ人間が生み出した定石を覆すような新手が発見されている。逆に、法律のように、ある意図を持ってその法律がある社会を想像しそれが善いとして、社会に規則を定めている。善悪の判断をするために様々なケースを議論し理解する。善悪は時と共に変わるし規則により新たな問題も発生する。そして修正する。いづれにしてもその規則が作り出す世界を理解することは難しい。理解するとはどういうことなのだろうか?

数を計算するだけの道具である計算機から始まったコンピュータの短い歴史は会計や国勢調査の計算地獄から人間を解放し、現在は様々な社会の問題を解消し様々な娯楽を作り出し人間の幸せの多くを作り出しているようにも思える。本当にそうなのか? 世界のあまりにも複雑で理解不能なものをそのまま捉えるのではなく、そこに潜む原理を捉えたいという欲求は消すことができない。数は人間が編み出した恣意的な道具にすぎず、その道具を使って原理を捉えることはできない、という考えが頭の片隅にくすぶっている。

カレイドスコープ

「スパイラル・ブギウギ」を描いているとき、約20年ほど前に研究していた「あじさい折り」の展開図が頭に浮かんだ(図5)。幼少の頃、動物や昆虫の創作折り紙を作っていた。20代の頃、折り紙の世界では伝説的な季刊誌「をる」が出版され、それに触発され再び折り紙をするようになり幾何学的な折り紙に夢中になった。気がつくと丸一日過ぎていることもあった。

「あじさい折り」は折り紙では日本の古典な部類に入る折り方で、いくつかのバリエーションがある。「カレイドスコープ」はピラミッド折りと呼ばれるバリエーションのひとつで、「あじさい折り」の裏面をピラミッド状に折り込んでいき表裏逆にしたものである。正方形の紙を小さい正方形に折り畳んで、折り込んだ部分があじさいの花びらのような形状になる。ピラミッド折りの場合、折り込んだ部分は全て鍵のように噛み合い広げる場合はひとつづつ鍵を外す必要がある。折る前に全ての折り目を事前につけ折り込んでいく。部分毎に折っていくとわりと簡単な繰り返しの作業になるが、余分な折り目をつける必要があり折り込んでいくうちに紙がヨレてボロボロになってしまう。余分な折り目をつけないようにするためにほぼ同時に全部の折り目を折り込む必要がる。「カレイドスコープ」は正方形の紙を縦横32等分した線を基本に折り目をつけていく。8等分や16等分だと同時に折り込むのは比較的簡単だが、32等分になると格段に難しくなる(図6)。縦横512mmの正方形を32等分で折り込むと大きさは3/8の192mmとなるが、厚さのある紙を使用したので完全に平面することはできず縦横約200mmになり紙の弾力性がピラミッドのように中心部分を押し上げる。

オイラーの素数発生式は螺旋に乗せると直線部分は180度回転対称となっていることがわかる(図3)。「スパイラル・ブギウギ」の直線は一部分で対称性がある。一方「あじさい折り」の展開図は90度回転対称と線対称であり上下左右はなく裏返しにしても同じ図となる。そして両方とも正方形である。この対比が面白いと思い、もう一つ「あじさい折り」で何か作品を作り対比させてみようと考えた。「あじさい折り」の形状だけでも十分面白いが、その展開図の方を対比させたかったので、折り上がったピラミッドの表面上に展開図が現れるような模様を元の紙に描くことにした。こちらはコンピュータを使わず手計算で方眼紙に書いてみた。表面に現れる部分は図5の黄色い部分に元の展開図を3/8倍にした図を分割して書いていくと部分と全体が自己相似であるフラクタル構造が現れる。更に3/8倍した展開図を書くことも可能で無限に自己相似が描ける。フラクタル構造はCGで自然な風景を描くときよく使われる手法である。切り立った山、なだらかな丘、砂漠、入り組んだ海岸などフラクタル次元という数値からそれっぽい風景が簡単に描ける。また草木などもフラクタル構造を持っている。

折り上がった表面の黄色部分をよく見ると中心の正方形の中心に黄色い正方形が現れる。中心から離れるにしたがい黄色い正方形も中心から移動していく。一番外側の表面部分では黄色い正方形は端まで移動している。同じような部分が微妙に変化して全体を構成していると、あたかも止まっている絵(図)が時間と共に動いているように見える。「スパイラル・ブギウギ」でも部分的には同じような模様が見えるがその変化の規則性は見当たらない。ものを観察するときどこかに焦点を絞って更にそれを移動させて理解しようとする。そして全体を俯瞰的に見て部分部分の関連性を確認しながら今一度全体を理解しようとする。そこに共通な何かとその変化を発見するときリズムを感じ時間を感じる。エッシャーはその効果を存分に版画に取り入れている。究極的には音楽の譜面がある。譜面が読める人は記号が並んだ図を目で追っていくと、そこに時間が感じられ風景が現れ物語が語られる。対極にはベーコンの絵画があるだろう。歪められた人物像(肉体)を中心に辻褄の合わない物体を配置し対照的な背景を描き、焦点を人物像に留めるさせるための幾何学的な矢印や立体のフレームなどの工夫は時間や物語を一切排除している。人間は目をどのように使い、世界を見て感じ、そして理解(認識)しているのだろうか?

「カレイドスコープ」のピラミッド構造はAIの主な手法である畳み込みニューラルネットワーク(CNN)の構造に似ている。CNNを使い写真などの画像認識するとき、まず画像を部分毎に分けて数値化し、更に隣り合った部分同士でフィードバックし、それが多段に組み合わされている。ピラミッド構造まで規則正しい階層構造ではないが、最初は単なる色の違いから、線や模様、丸三角四角のような形と階層を重ねていくとより抽象度の高い概念を認識し、最終的には人物や風景など抽象的な概念を認識する。囲碁のAIを人間より強くさせたのもこの手法を取り入れたことによる。実際にはCNNの各段階でどのような概念を認識しているかは複雑で言葉で表すことは難しい。CNNは人間がものごとを認識するやり方をモデル化したものだが、実際に人間がそうやっているのはわからない。「スパイラル・ブギウギ」の画像をCNNで学習させたら何を認識するのかと言っても、学習させるには何かしらの目的や善悪を決める必要がある。作成した目的は素数を可視化しなんらかしらの美的な視覚効果を狙ったとも言える。もしAIが進歩して「これは素数を螺旋状に並べたものだ」と認識できたとしたらどうだろうか? そしたら人間がそれを観たときの視覚効果をAIに聞いてみたい。そして「数とは何であるか?」を。

図5.カレイドスコープの展開図
黒線は山折り、赤線は谷折り、黄色は表面になる部分

(1)折り目を付ける
(2)周りから少しづつ折り込む
(3)折り込んで行くうちに貝のように閉じてくる
(4)折り進めると完全に閉じて内部が見えなくなり内側に巻き込んでくる
(5)中心部分まで折り進むと逆に開いてくる
(6)内側をひっくり返すように折を込んでいくと徐々に平面になってくる

図6.あじさい折りの作成過程

最後に

説明と書きつつも脈絡もなく色々なことを書いてしまった。前回の個展に続いて作品の一部分として説明を書いている。論文ではないので結論はないし正確性もない。もし気になった箇所があれば自分で調べるか私に聞いてください。「私」という言葉を書くときいつも何か違和感を感じる。今回の作品2点は「スパイラル・ブギウギ」にあげた3人のオマージュであり、アイデアの源は3人によるものだ。それを私のパターンに当てはめて作品を作った。私はパターンでものごとを理解し認識している。私を特徴付けているのは私の持っているパターンである。そのパターンを認識するために時間をかけて作品を作る。作品は私のパターンを変化させる。表現は自己参照のパターンである。そこから抜け出ることはできるのか?

最後に、今回、作品発表の機会を提供して下さいましたギャラリーカフェ3のヒガシムラさんに感謝申し上げます。

2018年7月21日 記

問の答え(一つの例)
(1)日本で開催されたオリンピックの年
(2)時間に関する数
(3)第一、二次世界大戦の開戦、終戦とされる年
(4)イチローの年間最多安打数、王貞治の最多本塁打数
(5)スカイツリー、富士山、エベレストの高さ
(6)1999以降の素数5個
(7)オイラーの幸福数

印刷物には以下が添付されている
表紙:「スパイラル・ブギウギ」の失敗作(一部)
裏表紙:「カレイドスコープ」の初期模様案(折り上り時の実寸大)
添付資料:
(1)「スパイラルブギウギ」習作(縮小版)
(2)「あじさい折り」基本2種
(3)「カレイドスコープ」折り習作(縮小版)
(4)「カレイドスコープ」模様習作(実寸大の一部)

プロフィール

齋藤亮直
saito.akinao@gmail.com

1969年 神奈川県横浜市生まれ、厚木市在住
神奈川県立厚木東高等学校 卒業
長岡技術科学大学工学部電子機器工学課程 中退
東京理科大学理学部Ⅱ部物理学科 中退

個展
2016年9月 アリガトサヨナラ, ギャラリーカフェ3
2017年8月 イミナンテナイ, ギャラリーカフェ3

グループ展
2008年10月 DESIGN FESTA PLANET.06, デザインフェスタギャラリー
2011年7月 SHAG Party No1, Paris France
2011年11月 SHAG Party No2, Paris France
2013年1月 Seriously Hazardous Art Gallery, Paris France
2013年3月 Carte blanche aux galeries d'art Boulogne Billancourt, Paris France
2014年7月 Seriously Hazardous Art Gallery, Paris France

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